2022年12月10日(土)

「ところが献灼官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れ てしまった。それから二年の後・・」創世記40:23


兄たちにより、隊商に売られたヨセフは波瀾万丈の人生だった。エ
ジプトで奴隷として仕えた主人には好意と信頼を得たが、その妻に
より無実の罪で投獄になってしまう。異国の地に売られ、主人の好
意で引き上げられたかと思うと、一気に地面に叩き落とされたかの
ように、投獄だ。

10年の監獄生活は、どんなにか苦しみがあったろう。しかし置かれ
た場で、ヨセフは主を見上げ、主を信頼し忠実に出来る事をして行
った。すると、模範囚となりそこですべての囚人を任せられ、世話
をする事となった。監獄の中では、悲観的になり、自己憐憫に陥り、
失望し、やけになる事もできたが、ヨセフは、腐らず、逃げず、諦
めず、主の訓練を受けて行った。

次には、出獄の献灼官長が、ヨセフの無実をパロに伝える事になっ
ていたが、忘れてしまった。そこで尚も2年が経過。今日か明日か
と、今にも出獄の望みがあっただけに、逆に更に厳しい試練の2年
となった。だが、ヨセフは忍耐し、主を待ち望んだ。2年後、パロ
が夢を見た事で、献灼官長が牢獄のヨセフを思い出し、獄から出さ
れた。突然にして、時満ちて、道が開かれた事に、自分の力や自分
の知恵、何ものにもよらない、主の働きを見た事だろう。

主の訓練にへりくだって、服して行く時、試練を受け入れて従って
行く時、主が「ちょうど良い時に」引き上げて下さる。その前でも、
後でもない、さじ加減ピッタリの「神の時」だ。今、主からの訓練
が臨んでいたなら、受け入れられるよう祈ろう。それがへりくだる
ことで、その時、主がご計画を成し遂げて下さる。

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主は痛みも苦しみも悲しみも、すべてご存じで、じっと見て下さっ
ている。すぐに出獄できると期待した2年は、どんなに厳しい試練
だったろう。主を待ち望む時、必ず丁度良い時に救い出して下さる。
それを信じて歩める事が、祝福だ。