2023年04月09日(日)

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、 互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、 あなたがたもそうしなさい。」コロサイ3:13



ある人が、学生時代に友人たちとけんかになった時に、ひぼう中傷
され、悪口を言いふらされ、非常に悔しい思いをした。その時に、
攻撃して来た生徒たちをずっと憎み、恨んでいた。卒業後、皆が
別々の道となった。そして自分は人一倍努力を重ね、頑張って〃生
きて来たが、その動機は、彼らを見返してやりたい一心だった。

執念深く恨み、許せなかった。幾ら頑張っても、そこに喜びも安ら
ぎも無かった。嫌な対人関係が目に見える形で無くなったとしても、
会わなくなったとしても、恨みが残る。それならどんなに物理的に
距離が離れていても、ずっと自由のない牢獄に囚われの身だ。自分
の人生が恨む相手にコントロールされてしまう。

絶えず思いに上り、心に影を落とす。やがて教会に行くようになり、
御言葉を学んで行く中で、確かに相手は悪いが、しかし自分にも非
があったと気づかされた。そして今までの頑張りの動機が間違って
いたこと、自分が相手を恨むことは、自分の罪であり、自分の問題
であると知った。自分の憎しみや恨みが、自分自身を苦しめている
事も知らされた。

絶対に何があっても相手を赦したくない自我だった。光に照らされ
るように、自分の姿が見せられた。解放されたいと心底思った。自
分が相手を赦すことが解放だった。苦しみから解放されたく、悔い
改めて、赦しますと、意志を主に向けた。人を赦せない思いは、サ
タンのわなであり、策略だと言っている。がんじがらめにされてし
まう。主に助けを求めて祈ろう。

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頭では赦さなければと思うが、肉は何倍にもして報復したい。御霊
によらなければ、不可能だ。御霊によって、御霊に導かれる時に、
赦すことができる。主に行き、赦したくないとの祈りから始める時、
一歩〃ふさわしい示しを下さり、解決へと導かれる。