2023年07月10日(月)

「・・ユダのすべての捕囚の民も、わたしはこの所に帰らせるー主の 御告げーわたしがバビロンの王のくびきを打ち砕くからだ。」 エレミヤ28:4



エレミヤの時代、イスラエルは、強国アッシリヤに滅ぼされ、捕虜
として連行された。だが、そのアッシリヤはバビロンにより滅ぼ
さ、バビロンはどんどん侵攻し、とうとうユダ王国も、バビロンに
捕囚となった。当時のユダは神から離れ、堕落し、偶像礼拝に陥っ
ていた。そして預言者たちは、人々に耳ざわりの良い、都合の良
い、心地良い言葉だけを語っていた。

平安が無いのに、見せかけの「平安、平安」と言っていた。だがエ
レミヤは真っ直ぐに神の言葉を語った。そのため迫害され苦しめら
れた。捕囚中の暗闇の中で、主の言葉を語り続けた。その捕囚は、
一見まさしく「災い」としか見えないが、災いではなく「平安・将
来・希望」のためのものだと。すぐに解放にならないので、その地
で腰を据えて生活せよと。

そして敵であるその町の繁栄を祈れ、それは自分達の繁栄になるか
らと。私たちも苦難の時、一番欲しい言葉は「即、解決」、「即、
悩みからの解放」だ。しかし口先だけの言葉は、更に傷を深くす
る。思い通りでない、かせのような現状を受け入れるなら、そのま
っただ中で、主からの支え、励ましにより歩めると。

現実を受け入れる事が大切だ。受け入れられるよう祈ろう。いつま
でもそのままではなく、「70年の満ちる頃・・帰らせる」。厳しい現
状で主に従うなら、その中で「平安」が約束されている。そして神
の時に、必ずそこから出される。
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「即、解決」「即、解放」だけを望んでいくと、都合のよい解釈が
御心に思えてくる。目の前だけを見て動かず、主の御言葉に従お
う。災いに見えても主の確かな土台の上には平安がある。