2023年10月10日(火)

「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたはどこ にいるのか。』彼は答えた。『私は園で、あなたの声を聞きました。 それで私は裸なので、恐れて、隠れました。』」創世記3:9



命令に背き、善悪の知識の木から実を食べて、罪を犯したアダムと
エバは、「神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」。
主を恐れ、主を避け、隠れた。罪により、「恐れ」が生まれた。主
に受け入れてもらえないと、思ったからだ。主から身を隠すとは、
拒否する事で、関係を持ちたくないという事だ。

人は罪を犯すと、とがめが来て、恐れが生じ、神と人から隠れよう
とする。しかし、主は違う。「どこにいるのか」と御声をかけら
れ、どこまでも私たちを追いかけ、求めて下さる。私たちには、な
かなか信じられないのだが、主の愛は決して変わらない。主の愛は
不変だ。私たちが罪を犯す前も、罪を犯している時も、罪を犯した
後も、主の愛は全く変わらない。

変わらずに愛し続けて下さっている。そして、罪の解決をも備えて
下さり、皮の衣を着せて下さったのだ。動物の血が流された、皮の
衣だ。それで、恐れと恥をおおって下さった。主イエスの十字架で
あり、流された罪の無い血潮が、私たちの罪をおおう。

罪を犯したゆえの恥、恐れ、不安があるだろうか。罪意識のとが
め、痛みがあるだろうか。心に主の血潮の注ぎを受けたので、全き
信仰をもって、恐れなく真心から主に近づく事ができる。赦しを受
け取ろう。罪が赦されるので、恐れが消え、痛みがいやされる。そ
のため心に平安と喜びが来る。
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神の私たちへのご愛を自分の側からしか見られず、罪を犯したら後
ろ向きになり隠れてしまう。神を信じて真っすぐに赦しを受け取ろ
う。神の子として生きる道をいつも示してくださっている。