2024年04月09日(火)

「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、 ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」 Tペテロ 5:6



日常でどうだろう。物事や対人関係が、何だかかみ合わず、イライ
ラピリピリし、平安が無い時、周囲を攻撃して行く時、それは主の
力強い御手の下から出て、主が飛んで、自力と自分の思いで歩んで
いるだろうか。高慢になってしまっている。しかし自分の思い通り
にならないので、あちこちに頭をぶつける。

痛いばかりで平安は無い。そんな中で御霊により、自我に気づかさ
れる。ある人が、理不尽に思え、納得が行かない状況にいた。誹
謗、中傷を受けるのだが、自分に非は無いと思う。陰で悪口を言わ
れ、辛くてたまらない。怒りも沸くし、悶々状態でいた。苦しく
て、主のみもとに行き、祈っていると、主の御手の下にへりくだり
なさいと語られた。

更に心を吐き出し、ずっと主と交わる中で、主の十字架を示され
た。100%正しく、何の非も無い方が、犯罪者がかかる十字架にか
かっておられる。こんな理不尽があるだろうか。「キリストは、神
の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができるとは
考えないで、ご自分を無にして」、我に返れて、涙が出た。

ご自分を無して、神のあり方をこの自分のために捨てて下さったと
は。「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従
われたのです」、今まで頭でわかっていた事が、真に迫り来た。主
にゆだねて祈り終えた時、心が平安にされていた。そしてこの取り
扱いを通して、更に主のご愛、あわれみを知れた事に心から感謝し
た。
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主の恵みに気づかされ、力強い御手の下に謙遜にさせられる。相
手がどうであれ、自分自身が変われるならどれ程感謝だろう。相
手ではなく主を見ていたい。