2024年05月10日(金)

「するとイエスは言われた。『ああ、愚かな人たち。預言者たちの 言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。』」ルカ24:25



エマオ途上の弟子達は、主が十字架上で死んでしまい、不信仰と失
望に飲み込まれてしまっていた。絶望状態だ。そのため、かたわら
を歩き、話しかけて下さっている方が、主だとわからなかった。
主を信じない時、また、失望落胆の中にある時、主が見えなくな
る。すぐそばを歩かれる、その主が見えない。

逆に言えば、私たちがどんなに主が見えない時も、感じない時も、
すぐそばにおられるという事だ。仮に、自分が主を見えず、聞こえ
ず、感じずとも、共に歩んで下さっているという事実、これは何と
いう慰めであり、嬉しい事だろう。主が近く感じられる時には共に
おられ、感覚が無い時には、おられないのではない。

又、不信仰は、主を見えなくする。主が彼らに言われた。「愚かな
人たち・・信じない、心の鈍い人たち」又、別の箇所では11人の弟子
たちに「彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった」、主は不
信仰は、はっきりと責められる。それは間違っていると。「信じな
い者にならないで、信じる者になりなさい」と。

あなたも今、失望の中で、不信仰に陥っているだろうか。自分の思
い通りでないからだろうか。しかし、信じようとしない、頑なな、
自分の心はどうだろう。自らの不信仰と認めて、御前に悔い改めよ
う。「信じる者になりなさい」と信仰を与えて下さる。祈ろう。苦
況の中で、主を仰ぎ、信じて行く時、主の栄光を拝することにな
る。主の素晴らしさを見せられて行く。
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怖れや失望に出会うと、すぐに光が見えなくなる弱く不信仰な者
だ。でも主を見ないでおろおろしている傍にも主はおられる。信じ
る者になろう。