2024年08月09日(金) 「朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。」ルカ4:42
「朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。」ルカ4:42
人は、人生の中で孤独を感じる時がある。主を信じる以前は、罪に より、主との交わり断絶のために、孤独で虚しく、生きる目的もわ からなかった。主のもとに帰った今、時に主は、私たちに孤独を送 られる。家族から離れての一人住まい、誰も知った人のいない地へ の転居、学校や職場、近隣で心を割って話せる人がいない・・等。 だが、その孤独はむしろ良いもので、私たちを主に近づけてくれ る。時に、主は私たちを、ご自身に集中させたいがために、孤独を 送られる。ダビデも「わたしは、ただひとりで悩んでいます」と言 った。主からの特別な取り扱いだ。寂しさの中で、心が主にのみに 向けられ、望みが神だけになる。 又、自分自身を深く見つめる時とされる。主との深い交わりを経験 する。今、人との交わりが無く、孤独だろうか。親しい人が自分の もとを去っただろうか。裏切りがあっただろうか。主も、私たちの 罪を負うゆえに、十字架上で御父に背を向けられた。ゲッセマネの 園では、弟子たちが眠る中、深い孤独の中で祈られた。 主が捕らえられると、弟子たちは、逃げてしまった。誰よりも孤独 を知り、理解して下さる同伴者だ。主ご自身が慰めて下さる。主を 捨てた弟子たちへの言葉が「わたしは決してあなたを離れず、ま た、あなたを捨てない」。「わたしは、あなたをともにいる」だ。 主は決してあなたを離れず、見捨てられない。 主は時に、孤独を送られる。世の騒がしさから離れ、人の交わりか らもしばし離れ、主にのみ心を向けさせるために。そうでなけれ ば、人で満足してしまい、主のもとへは行かない。孤独が来た時 は、主と交わり、主で満たして頂こう。 -------------- 目先の様々な事に捕らわれているところから、一人にされ主と深く 交われる時を感謝したい。悩みつつ祈り、主に力を受けてまた立ち 上がれる。主が傍におられる。