2024年09月09日(月)

「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御 前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります」 詩篇 16:11

       
ある男性が、丁度、思春期の頃に、両親の離婚を通った。目の前で、
親が大声でののしり合い、けんかをする。見たくない、聞きたくな
い。いつも父親の暴力と母親の悲鳴、大きな物音、家中の物が壊れ、
悲惨極まりない状態となる。そんな中で、両親は離婚した。自分の
内側で、父親と母親が裂かれ、自分の心も壊れた。何も感じなくな
ってしまった。何をしても、何を見ても無感動だった。

どうなったのかもわからないが、心が動かないのだ。身体ごと虚無
感でおおわれ、息はしていても、死んでいる生ける屍だった。富も
名誉も何もいらない、ただ一つ、生きている実感、生きる喜びが欲
しかった。様々な経緯があり、感謝な事に、主に立ち返ることがで
きた。ただただ、主の愛が嬉しかった。嬉しくてたまらなかった。

その時に、心に暖かい灯がともった。心が暖かさに包まれて、ただ
一つだけ欲しかったもの、あの生きる喜びと生きている実感が湧き
上がったのだ。今は、牧師として主に仕えている。心を満たす「生
きる喜び」は、御霊によるもので、神のみが与えることができ、神
にしか出来ないものだ。

私たちも、その喜びが与えられている事に、まず感謝しよう。日常
の、ささいな一つ一つの恵みを数えよう。目の前の恵みを数えて、感
謝を献げよう。恵みを見る時、神を見ている。感謝する時、神に焦
点が合っている。今日も恵みは豊かに溢れている。
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主が愛し、守っていてくださる。これ以上の喜びがあるだろうか。主
が測って与え導かれるこの一日もゆるぐことはない。主に心を定め、
恵みを感謝して歩もう。