2025年06月08日(日)

「すべての人が時と機会に出会うからだ」伝道9:11



信仰人生において、「時と機会」は非常に大切だ。振り返って、あ
れやこれやと、機会を逃してしまった経験があるだろうか。時と機
会は主から来る。ベタニヤのマリヤは、時と機会を悟った。食卓
の主に、大切なナルドの石膏のつぼを割り、すべてを主のみ頭
に注いだ。300万とも言われる高価な香油だ。よく女性は、結婚
の時のためにと、少しづつ貯えるようだ。

彼女は、主への感謝と愛が溢れ出る余り、惜しげもなく、主に注
ぎ尽くした。今から十字架へと向かわれる主を、どんなにお慰め
した事だろう。弟子たちは無駄な事だと憤慨した。貧乏な人達に
施せば良いのにと。彼女を厳しく責めた。だが、主は彼女を弁護
れた。「わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです」と。主
はその愛の行為を受け取られた。愛は計算しない。

肉は損得であり、計算だ。しかし愛には損得勘定が無い。「上
からの知恵は、第一に純真であり・・」、御霊に動かされる時、損
得でなく、主をお喜ばせしたい一心だ。貧しい人々はいつもあな
た方と共にいるが、わたしは共にいるわけではないと。いつでも
出来る事と、この時にしか出来ない事がある。主の言葉通り、そ
の時と機会を逸したなら、彼女は香油を塗ることができなかった。

機会は逃げて戻らない。御霊の示しがあるなら、二度とない機会
を捕らえよう。「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だか
らです」と。そして彼女はなぜ「時と機会」を悟れたのだろう。主の
足もとに坐り、全身で御言葉を聞いていた。主の言葉により、時と
機会を悟らせて下さる。

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今まで、時を逸し、機会を逃す、失敗を繰り返して来たかもしれ
ない。あの時、この時の失敗から学べる。御霊の促し、導きがあ
る時には、従おう。そうできりうよう祈ろう。示しをキャッチできる
よう、アンテナを張り、普段から祈っていよう。