2025年10月10日(金) 「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、 かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますます そうしようではありませんか」ヘブル10:25
「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、 かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますます そうしようではありませんか」ヘブル10:25
ある人が、厳しい試練にいた。苦しみに打ちのめされた。周囲の人 々は皆、幸せそうに見えて、羨ましくてたまらない。心は落ち込む ばかりで、自分は祝福されていないと感じて、心寂しい。教会へも、 人の集まりに足が向かず、人に会いたくなかった。そんな中、ある 人が、彼女を訪問するよう主に示されて、従った。 その来訪にも、素直になれず、心は屈折状態だ。会いたく無かった が、仕方なくドアを開けた。しかし、もう一人の自分もいた。こん なひねくれた態度の悪い自分を、わざわざ訪ねてくれて、申し訳な い、有難いとの思いがあった。神からの新しい性質の反応だった。 だが、訪問がきっかけで、翌週、教会へ行けた。そして以前のよう に毎週出席できた。御霊の働きだった。ある人は、やはり大きな試 練があり、心身消耗しきっていた。弱り果て、もう考える事も、祈 る事もできなかった。気力が失せ、どうにもならなかった。家族が、 懸命に祝福を伝えて、励ましてくれるのだが、心が動かなかった。 しかし、家族の祈りと励ましによって、御言葉を読む気力とまでは 行かないが、聖書を手に取れた。 パラパラと見ていた。読むのでなく、ぼお〜と見ていた。すると不 思議が起きた。その目に入った御言葉が、心に光が射し込むように、 飛び込み響いて来て、語りかけて来た。御言葉により、今の苦しみ の状況が、ふに落ちたのだ。そこから立ち上がることができた。親 族の励ましに、周囲の祈りに心から感謝した。 ---------- 思い煩っていないと思っていても、深い霧の中にいることがある。 自分の感情の中で閉じてしまわず、信仰の兄弟、姉妹方の祈りと励 ましを受けとろう。主はご存じで助けを送ってくださる。感謝だ。