2003年06月09日(月)

「これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです」(ガラテア2:16)


 ある人は毎日規則的に聖書を読み、祈り、懸命に罪の
告白もしている。しかし、神に受け入れられているとい
う確信が無く、救われている確信も無かった。
神に受け入れられるために、聖書を読んだり祈ったりし
ていたのだった。それは間違いであり、どこまで行って
も受け入れられているという確信は持てない。
行ないではだめなのだ。キリストがして下さった事、
十字架のみわざに頼り、喜び感謝をささげるのだ。
自分の力で神に受け入れられようという、誰もが陥る間
違いをしてはならない。救いは受けるに全く価しない者
に与えられる恵みだ。自分が罪人であり、受けるに価し
ないと認めた人のために備えられた無代価の恵みだ。