2004年05月10日(月)

「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい」(コロサイ4:5)

郊外をドライブしていたら、御言葉が記されてある小さな看板が数カ所に取り付けてあった。「神は愛です」「わたしは世の光です」等の。近くの教会が証しのために、取り付けたのであろう。教会の看板もそうだが、看板を掲げるとその内容、実際がアピールとなり鮮明となる。私達も同様だ。クリスチャンは歩く聖書と言われるが、私達の看板には偽りが無いだろうか。人々は聖書を手に取って読まないが、あなたには関心を持って見ている。あなたの態度、言動、行動、考え方、価値観、それは彼らにとれ聖書そのものなのだ。彼らはあなたによって聖書を読む。あなたが日々人々の前に描いているのは、どんな聖書だろう。神は愛か。神は世の光か。人々はあなたを見ている。
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人々は聖書は読まない。私達が歩く聖書だ。今日も聖霊の助けによって、ぶどうの木であるイエス様にしっかりとどまって歩もう。そこから霊の喜びが来て、主によって生かされる。主との生き生きとした交わりの中で生きる時、自然に証しとされる。すべてのエネルギーも力も愛も知恵も言葉も、主から来る。