2004年08月08日(日)

『人は言った。「あなたが私のそばにおかれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」』(創世記3:12)


駐車場で、ある男性が突然バックして、後続のゆっくり前進していた車にぶつけてしまった。何とその男性はぶつけた車の女性に怒った。出てきた彼女が悪いと。誰が見ても彼の後方確認ミスだった。エデンの園でアダムがした事と同じだ。エバに責任を転嫁した。私達の罪の性質は自分の罪を認めないで、他人のせいにする。他人に転嫁し、環境を与えた神のせいにすらする。私達が罪を犯すのは、自分の欲望に聞いていくからだ。私達が人のせいに、環境のせいにしていく限り、決して罪に勝利できない。「それをしたのは私です。」と自らの責任を認める事だ。そこから新しい歩みが始まる。弁解せず言い訳せず、自分の罪を認める時、変えられていく。
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自分の欲に引かれ、おびきよせられて誘惑される。一番弱い所だ。サタンは誘惑はできるが、私達の意志に触れる事はできない。ゆえに罪を犯すのは自分だ。自分を正当化せず、罪を認める時、赦しを受け、神のあわれみを豊かに味わう。