2004年10月09日(土)

「人は火をふところにかき込んで、その着物が焼けないだろうか」(箴言6:27)

罪とわかっていて、少々ぐらいはとの態度は危険だ。自分の肉欲も楽しみたくて、少しぐらいと肉の欲望を満足させて行くと、古い性質の方が力を増して来る。私達には、新しい性質と古い罪の性質の二つが内にある。常に内側で戦っている。古い性質が改善されるのでは断じてなく、古い性質が衰え、もう一つの新しい性質がどんどん大きくなるのがクリスチャンの成長だ。故意に自分から誘惑に進んで行き、古い性質を増長させてはならない。罪に少しぐらいと妥協しながら、少しづつ少しづつ感覚が麻痺して行く。火遊びをするなら、やけどをする。今、少しぐらいと妥協しているか。きっぱり罪を捨て、罪から離れよ。さもないと、自分の方が罪に飲み込まれてしまう。
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自分の弱さをわきまえ、誘惑の力、罪の力を侮ってはならない。誘惑は必ず甘い。苦いものが誘惑になどならないからだ。自分の欲望と合致するので、誘惑だと気づかない。サタンが働いている。少しづつ妥協し、麻痺し、気がついた時には遅い。誘惑に気づけるよう祈り、意志できっぱり罪を捨てよう。