2005年02月06日(日)

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ14:24)

種は深く埋められない限り発芽はない。種が地上に浮かび出るなら、発芽は不可能だ。地中深く埋められ、死を通る時、実を結ぶ。霊的にも同様だ。自分に死んで行く時に、実を結んで行く。自分の思い、自己主張でなく、神のみこころを選び取る事だ。ある婦人が養子に迎えた娘が反抗に反抗を重ねた。母親の一言一言に逆らい、怒りをぶつけた。母親は逆らう娘のために、接する時も絶えず祈り続けた。唇の中で祈りはうめきとなった。娘はとうとうある日「お母さん、ごめんなさい!」と大泣きで抱きついて来た。どんなに反抗しても、いつも自分のために祈ってくれていたのを知っていた。イライラや怒りや焦りを、わかってるが、自分でもどうにも出来なかったのだと。それ以後、全く反抗は失せて、打ち解けた楽しい温かな関係にされた。自分に死んでみこころを選び取ることだ。
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いつもキリストか自己かの選択だ。みこころか、自分の欲望かだ。肉は強い。自我は強烈だ。地中に死ぬのは嫌で、地上に出たい。サタンも肉欲、自己主張の心地良さを誘惑する。しかし平安はない。主の助けによりみこころを選ぶ事が出来る。