2005年12月10日(土)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」(Uコリント3:16)

御言葉が、神が、わからない。何かピン
と御言葉が心に落ちて来ない。もやが
かかっているよう。頭ではわかるが、頭
だけで心に響いて来ないのはなぜか。
それは心におおいがかかっているからだ。
そのおおいとは、自分が中心である事だ。
神より自分の気持ちを優先させ自分の
思いを通し、自分の好み、方法を進める。
神のお心は飛んでいる。又、ある状況下
で状況に飲み尽くされ、その中で神を
仰ぐ事をせず、自分で何とかしようと
右往左往する。思い煩う。見ているの
は状況と自分だ。主に向いて行く時、
解決がある。状況や自分でなく、主の
お心を求める時、心が変化する。主に
集中して行く時、おおいが除かれる。
自分中心になるとおおいがかかり、主
中心になるとおおいが取り除かれる。今、
自分中心になっていないか。
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よく経験する。自分中心になっている
時は神が見えない。御心もわからない。
しかし、自分の心でなく、神のお心は?
神はこれをどう見ておられるのか?
のスタンスに立つ時御心示され平安が来る。