2006年08月10日(木)

「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」ヨハネ6:26




私達が時々、神の恵みを試み
る誤りに陥る。つまり自分の
願いが叶えられたら、自分の
思い通りになれば、神に愛さ
れている証拠であり、そうで
なければ、神の愛を信じない
との態度だ。それは神に従う
事ではなく、自分が中心で、
自分が神の上に立って、神を
試す事だ。それはまさに悪魔
の誘惑であり、攻撃だ。私達
が、結局のところ神に求めて
いるのは、パンだと、悪魔は
言う。神などではなく、自分
の欲望の満たしだと。そのパ
ンとは、自分にとっての生き
がいであり、喜び、楽しみだ。
富、名誉、地位、愛する人、
仕事であり、人間が求めてい
るのは、それらによって心が
満たされる事だ。しかし信仰
とは、そうでなく神を試す事
をせず、どんな時にも、状況
でも、御言葉を信じて、神を
信頼して歩む事だ。どこまで
も自分中心な者が、自分のた
めにしか生きる事の出来ない
者が、神のために生きる者に
変えられて行く。これは最大
の奇跡だ。神のして下さるみ
わざだ。自己中心な自分が、
変えられている事に感謝しよ
う。
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パンを求めて従っているのか、
神様が神様であるゆえに従う
のか。どこまでも自己中心の
私達を今日も神様は憐れんで、
恵んで下さる。