2007年01月10日(水)

「わたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」創世記22:2

               
アブラハムにとって、イサクは命その
ものであった。すべての希望はイサク
にかかっていた。イサクにより、子孫
が繁栄し、神の約束が実現して行くの
だ。イサクはアブラハムが持っていた
すべてであった。知らず知らず彼の愛
はイサクを握りしめていたであろう。
神はイサクを献げるようにと言われた。
イサクが死んでしまったなら、神の契
約はどうなるのか。すべてがイサクに
かかっている。神は絶対に約束を破ら
れる事のないお方だ。しかし、いけに
えにと言われる。アブラハムの心中は
いかばかりであったろう。イサクより
神を愛するかのテストでもあった。深
く愛するものは容易に偶像となってし
まう。彼は決断した。イサクを実際に
献げた。まさに人生を、何もかもを
「断ち切った」のだ。将来や可能性、
命そのものを手放した。実質的にイサ
クを献げた。しかし、彼は勝利した。
全き従順によって。イサクを死者の中
から取り戻した。
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自分にとってイサクは、一番大切なも
のは何だろう?それが容易に偶像にな
ってしまう。それが神を見えなくして
しまう。自分のイサクを明け渡す時に、
神を見い出しいのちを得る。喜びを知る。