2007年03月08日(木)

「信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉に至る」Tペテロ1:7




世の人々は災いを恐れ、災いが無
いようにと信心する。しかし、ま
ことの神は違う。天の父は悪い人
にも良い人にも太陽を上らせ、正
しい人にも正しくない人にも雨を
降らせる。だから平等だ。信仰す
るなら受験はすべて合格、畑はす
べて豊作、大金持ちになるなら、
すべての人が信仰するだろう。
しかし、神はそうではない。不都
合な事も備えておられる。だが、
それは試練であり、試練は祝福と
される。私達の信仰は、必ず火で
精錬される必要がある。金は、火
の精錬により不純物が溶かされ、
純金となる。同様に、私達も試練
の火で、内にある不純物が除かれ
て行く。不純物が除かれるために、
どうしても火が必要だ。試練の時
に、あなたの心はあらわになる。
建前は信仰でも、本音は何を求め
ていて、何を頼っていて、自分の
力としているものは何なのか。本
音で愛しているものは何なのか。
平穏な順境の時には決して出て来
ない、心の本音が現われ出る。自
分の本当の姿を知る。神はすでに
見ておられるが、自分が自分の姿
を知らない。自分に偽ったまま、
進む事を望んでおられない。神は、
建前でなく、本音の私達を受け入
れて下さっている。裸の自分を知
り、認め、主に頼ることができる。
主の愛に安らぎを見い出す。試練
は必ず益で祝福だ。
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本当の自分の姿を知るのは試練の
中でだ。むき出しの自分と対峙す
る。本当の自分を知らなければ祈
れないし、成長もない。知れる事
が恵みで、教えられない事が最大
の悲劇だ。