2007年07月10日(火)

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」ローマ12:1



カインは地の作物から主へのささげ
物を、アベルは羊の最良の初子を持
って来た。神はアベルのささげ物を
受け入れ、カインの物には目を留め
られなかった。なぜ、アベルのささ
げ物は受け入れられ、カインのもの
は拒まれたのか。「信仰によってア
ベルはカインよりすぐれたいけにえ
を神にささげ」とあるように、「い
けにえ」としてのささげ物をささげ
た。いけにえは、ほふられて血が流
されたものだ。アベルのささげ物に
は血の犠牲が伴っていた。「すべて
のものは血によってきよめられる」
「血を注ぎ出すことがなければ、罪
の赦しはない」「イエスの血によっ
て、大胆にまことの聖所にはいるこ
とができる」。これは後の、キリス
トの十字架を示すものだ。エデンの
園で罪が入った時から「彼は、おま
えの頭を踏み砕き、おまえは、彼の
かかとにかみつく」とキリストが示
されている。神に受け入れられるさ
さげ物は、アベルのささげ物によっ
て表され、イエス・キリストによっ
て成就された。十字架上で神の小羊
キリストが裂かれて血が流された。
神はそれを受け入れられた。キリス
トにより、私たちは完全に神に受け
入れられている。そして、受け入れ
られている私たちは、自分自身を献
げて行くことが、神への真の礼拝と
なる。
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信じて救われただけのクリスチャン
ではなく、罪赦された喜びと主の愛
によって変えられていきたい。そし
て感謝をもって喜んで自分自身を献
げて生きていきたい。