2007年09月09日(日)

「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり・・」詩篇1:3



木は何もしないで、そこに植わってい
る。木は、そこに立っているだけだ。
しかし、みずみずしく葉は茂り、決し
て枯れない。そして、そこで豊かな実
を結ぶ。木は動き回るわけでなく、何
かを頑張るわけではない。しかし、み
ずみずしく葉は生い茂り、実がなる。
水路のそばなので、絶えず、水分が流
れ来るからだ。それは決して滞る事が
ない。実がなるのは、水路からの水分
による。私達も実がなるのは、自分で
頑張るのでなく、ただ、主にとどまり
続ける事によってだ。又、木は自分で
動く事も、環境を変える事も出来ない。
そこで実を結ぶ。私達も変えられない
ものを、受け入れて行く事を学ばされ
る。それは諦めという意味ではない。
偶然ではなく、運にほんろうされてい
るのでなく、神が与えられたものとし
て、神から来たものとして、もう一度
受け取るのだ。それは信仰だ。そこで必ず
豊かな実を結ぶ。あなたは、変える事
のできないものを、くよくよといつま
でも思い煩い、受け入れられないで抵
抗し、悶々としていないか。それなら、
大切な一生を無益な思い煩いで棒に振
ってしまう事になる。与えられた場で、
遣わされた場で、豊かな実を結ぶ。変
えられないものを受け入れよう。
・・・・・・・・・・・・
木は自分で選ぶのでなく、人により植
えられる。その場所で、みずみずしい
葉を茂らせる。今の場は神が置かれた
場だ。神が与えられた境遇であり、神が
今の場で豊かな実を結ばせて下さる。