2008年01月10日(木)

「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」ガラテヤ6:9

「蒔いたものは刈り取る」これは変わ
る事のない原則だ。法則だから、必ず
そうなる。例外が無い。神は侮られる
方ではなく、自らの歩みと生き方には、
必ず責任が問われるという事だ。自分
の蒔いたものは、すぐにではなくても、
必ず時期が来れば刈り取る。二種類の
種蒔きがある。肉のための種蒔きと御
霊のための種蒔きだ。肉のためとは、
肉の欲望を満たすためであり、又、表
向きは善行であっても、それが自己中
心な自分を喜ばせる動機から出ている
なら、肉の種蒔きだ。苦しみや悲しみ、
痛みを刈り取る事になる。御霊のため
とは、御霊の導きに従い、神の愛に応
えるための種蒔きだ。御霊の導きによ
り労力や時間やお金を使う事だ。神を
お喜ばせしようとの動機から出ている
ので永遠の命を刈り取る。私達が日々
行っている事は、どんな「動機」でし
ているのだろう。自己満足、自分の称
賛、自分の喜びのためか。信仰により
神の喜びのためか。自分の思いでなく、
御霊に導かれて善行に、福音の種蒔き
に励もう。「時期が来て刈り取る」今
すぐではない、遠い先かも知れない。
何の反応もなく、何の結果も見えず、
何一つ動きが無い、落胆しがっかりし
てしまうが、必ず「時が来て」刈り取
る。失望せずに期待して待ち望もう。
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なぜ失望するのだろう。わずかな善行
さえも自分のためで、すぐに実を結ば
なければ満足しないのかもしれない。
神様に喜んでいただくために、を心の
中心すえ御霊に導かれるまま、従って
行こう。