2008年02月08日(金)

「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」Tテモテ1:19

信仰生活には、信仰と「正しい良心」
が大切だ。信仰があっても、正しい良
心を捨てると、信仰の破船に会うと。
良心というと、普通正しい良いものと
思うので不思議だが、良心にも「正し
い良心」と「邪悪な良心」がある。神
の似姿として創造された人間は、神か
ら良心が与えられたが、アダムとエバ
が、罪を犯して以来、人間の良心は歪
んでいる。「神のようになり」たくて、
善悪を知る木の実を食べた彼らは、自
分の意志と判断で生きて行くようにな
った。それまでは、すべての判断を神
に信頼し、神に聞けば良かった。人間
の判断はその人の価値観によって異な
る。同じ事をしても、考え方や価値観
により良心の呵責を感じる人と感じな
い人が出て来る。又、間違った良心の
呵責に責め立てられる人もある。主を
信じる以前の良心を「邪悪な良心」と
言っている。人は肉の性質、罪の性質
があり、自分に都合の良い事が容易に
正しい事になってしまう。又「良心は
麻痺する」ので、良心を無視し間違っ
た事をし続けると、機能を果たさなく
なり、とがめを感じなくなる。「弱い
良心」にサタンの間違ったとがめの攻
撃も来る。御霊と神の言葉が、私達を
正しく導き、造り変えて行ってくれる。
「心に血の注ぎを受けて邪悪な良心を
きよめられ、からだをきよい水で洗わ
れたのですから、全き信仰をもって、
真心から神に近づこうではありません
か」
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邪悪な良心や、偽りの謙遜など、自分
は、たやすく間違ってしまう者だと覚
えていたい。神様の口から出たひとつ
ひとつのみ言葉に聞きながら人を傷つ
けたり、自分を傷つける事から守られ
ますように。