2008年03月10日(月) 『イエスは、「来なさい」と言われた、そこで、ペテロは・・水の上を歩いてイエスのほうに行った』マタイ14:29
『イエスは、「来なさい」と言われた、そこで、ペテロは・・水の上を歩いてイエスのほうに行った』マタイ14:29
弟子達が、湖で風と波で漕ぎあぐねて いる時、主が湖の上を歩いて来られた。 弟子達は非常な驚きであったが、その 時、ペテロが、水の上を歩いて主のも とに行きたいと願った。主はその願い に答えて下さり「来なさい」との御声 をかけて下さった。その御声を聞いて、 ペテロは舟から出て湖面に足を下ろし、 水の上を歩いた。ところが、風を見た 時に、突然恐怖に襲われ、ぶくぶくと 沈み始め、溺れかけた。恐怖の余り、 主に助けを叫ぶと、主はすぐに手を差 し伸ばしペテロを助けられた。ペテロ は風を見た途端、常識の世界を見た。 今、自分は何をしているのか、こんな 事が有り得るはずがない、人が水の上 を歩くなどと有り得ない。私達もしば しば経験する。神の御心を歩むなら、 神がすべての必要を満たすと約束して 下さっている。しかし、天から降って 来るわけでなし、これがどうやって満 たされるのか。この世と全く違う価値 観ゆえ、人から嫌がらせを受けたり、 差別をされたり、相手にされなかった り、この新しい生き方で本当にいいの か。世でやって行けるのか。又、忍耐 し、赦すなど、相手を図に乗らせるだ けだ、ピシャ!と言え!・・「常識」 の湖にぶくぶくと沈んでしまう。今、 あなたは、見える世界と見えない世界 に、足元ぐらついているか。恐れで溺 れかけた湖上のペテロだろうか。もう 一度、「来なさい」と御声をかけて下 さっている主を見て、見えるところで なく「信仰」で進もう。 ------------------------ 見えるものに揺れる弱い私達だが、真 理のみ言葉という不動の後ろ盾がある。 気持ちはどうであっても、客観的なみ 言葉に従えるよう思考を変えて行きた い。