2008年06月09日(月)

「わたしがあなたがたに話したことがは、霊であり、またいのちです」ヨハネ6:63


聖書には3万数千の祝福の約
束の言葉が記されている。そ
の土台の上で、私たちは、自
分自身の約束の言葉を受け取
る。厳しい試練が臨んだ時、
悩み問題に心が押しつぶされ
そうになる時、自らの進路に
確かな指針を求めている時、
まずよくよく祈ることが大切
だ。よく祈って「主よ。お話
しください。しもべは聞いて
おります」との姿勢で、神の
御言葉を求める時に、主の語
りかける御声が臨んで来る。
それは礼拝メッセージであっ
たり、デボーションの中であ
ったり、学びの時、信仰の友
との交わりの時であったりす
る。あらゆる時に、心を開い
て、御声に一心に耳を傾けて
いると、心に主が語りかけら
れる。物理的に肉の耳に聞こ
えるのではなく、心の耳に聞
こえて来る。その御言葉を心
に受け取り、信じて握る時、
その言葉から信仰が生まれる。
その御言葉は、霊となりいの
ちとなり、試練のまっただ中
で、慰めとなり励ましとなり、
避け所とされる。いろんな人
が、人生で崖っぷちに立った
時に、厳しい極度の試練の中
で、突き詰めると「御言葉」
だったと証しする。「御言葉」
が苦しみの中で支えであり頼
みであり、拠り所であったと。
状況は大嵐の中、主から受け
取った言葉は、私たちを支え
守ってくれる。嵐の中で揺ら
ぐ事なく立っておれる。
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神様の御言葉を基として立つ
とき不安定な状況の中で唯一
の道しるべを見つける。御言
葉を知っているのではなく信
じて今週も歩もう。