2008年11月09日(日)

「この女は自分にできることをしたのです」マルコ14:8


信仰人生で、「時」と「機会」は大切だ。時と機会は神から来る。ベタニヤでマ
リヤは、食卓についておられる主に、ナルドの石膏のつぼを割り、頭に注いだ。

300万とも言われている高価なものだ。結婚のために少しづつ少しづつ貯えた
のだろう。主の足もとに座って、御言葉を真剣に聞いていたマリヤは、ただ一人
だけ、主がこれから、自分の罪のために十字架にかかられる事を理解した。

もう間もなくである事を悟り、主の葬りのためにと、感謝の余り、惜しげもなく
注ぎ尽くした。これから十字架へと向かわれる主を、どんなにお慰めした事だろ
う。何も知らない弟子たちは無駄な事をと憤慨した。貧乏な人達に施せば良いの
にと。

しかし、主はマリヤを弁護された。わたしのために自分にできる事をしたのだと。
主はその愛の行為を受け取られた。貧しい人はいつでも一緒におり、いつでも施
しができると。

主が言われた通り、その時と機会を逸したなら、マリヤはもう香油を塗ることが
できなかった。この後、主は十字架へと向かわれたのだから。いつでも「機会」
があるのではない。
御霊の示される貴重な、その時しかない「時」がある。それを逃したなら、二度
とない機会だ。

今、もし御霊に示されている事があるなら、時と機会を逃す事なく、主に愛を表
そう。
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機会は、不用意に簡単に逃してしまう。時と機会を捕らえる事は大切だ。今、御
霊の導きと促しがあるなら、ぐずぐずせず従い、実行しよう。大きな祝福にあず
かる。普段から時と機会をよく見張っていよう。