2009年01月09日(金)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」Uコリント3:16



当時のユダヤ人たちは、律法に救いを求めていた。律法を懸命に守り、戒めを行ない、形式上守っている事で自らを誇り、自己満足していた。

又、御言葉によらない、人間による多くの言い伝えを作り、それを守る事にきゅうきゅうとしていた。人にも強いていた。

律法が主キリストによって成就されるという事が全く見えず、盲目であったため、主を拒み、否定し、主を追い詰めて行った。

律法は罪を明らかにし、私たちをキリストへ導くための養育係だ。律法自体は聖なるものであり、正しい良いものだ。律法ではなく、彼らの頑なな心が問題であった。

頑なな心が真理に対して「おおい」となってしまう。
私たちも様々な外的状況があり、環境に拘束されるし、身動き取れない対人関係に縛られたりする。

働かなければ食べて行けないし、仕事に拘束される。しかし、これは実は、心が問題だ。心が、その外的なものを「おおい」にし、自らの自由を奪い、縛り拘束してしまう。

外的状況ではく、自らの内の自己中心、高慢、プライド、虚栄、貪欲、思い煩い、恐れ・・自我が問題だ。

その証拠に、その状況で自らを全く主に明け渡すなら、全く同じ状況で、「人のすべての考えにまさる神の平安」を経験する。
全き平安におおわれる。

自分を捨てて、自らを明け渡し、まっすぐに主に向く時、自分の内のおおいが取り除かれる。不安と思い煩いも失せ、心が自由になる。外的なものでなく、心の問題だ。
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肉が働きその報酬を手にする事も感謝だが、すでに全てに勝る価値ある恵みを、主から受けている者だということを感謝しよう。今日も主に向いて頑ななおおいを取り除こう。