2026年02月04日(水)

「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした ・・『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪 のとがめを赦されました」詩篇32:5



ダビデ王は、部下たちが命がけで戦っている中、夕方に起き出すと
いう怠惰な生活だった。そこに悪魔の誘惑が来て、バテシバと姦淫
を犯してしまった。その時に、主に助けを求め、叫べば良かったが。
すると妊娠し、それを隠すために、策略により夫ウリヤを殺害した。

自分は王あり、すべて意のままであり、誰も物言える者はいない。
罪を隠し通した。しかし人の目には隠せても、主の目には裸であり、
主は見ておられた。隠していた間、激しい苦悶にうめいた。主の御
手だ。「1日中うめき、骨々は疲れ果て、骨髄はひでりでかわきき
った」。心はカラカラにかわいて苦しんだ。

しかし主はあわれみ、預言者ナタンを遣わされた。例え話をした。
富者が貧者の大切な唯一の子羊を奪った話に、ダビデは「そんな男
は死刑だ!」と激しい怒りで叫んだ。人の事はわかるのに、まさに
自分だと気づかない。自分に密かな罪があり、その罪が赦されてい
ない時、他者に対して非常に厳しくなる。糾弾する。

自分が主の赦しを受け取っていないと、他者を責めてさばく。なぜ
か。無意識に、自分の罪が、自分を責め、それが他者に向かう。
ダビデは即、悔い改めた。見える所で水浴するバテシバも悪い、ウ
リヤに対しても努力はした、言い訳が出そうだが、いっさいしなか
った。

ダビデに、自由と喜びと平安が戻った。主は豊かに赦して下さる。
主の赦しを受け取る時、他者を赦す事ができる。主の血による赦し
を受け取ろう。安堵と平安にされる。
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罪にはいつも言い訳があるが、主の御前にごまかす道はない。また
罪を犯さずに生きることも出来ない。ただ恵みにより主に赦されて、
赦しを受け取る道がある。何というあわれみだろう。