2009年04月05日(日)

「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです」詩篇36:9

                         

人から自分の欠点や、弱点、気になる部分を指摘された時、心の何かに触れて、
ザラッと、又は、ムカッと来るだろうか。

カチン!と来て、怒りが湧く時などは、まさにその指摘が余りにも的確で、的を
射ているからだ。当たっているのだ。その通りなのだ。そこに強烈な自我が潜む。

もろに自我にぶつかる。そこを決して見たくないので、逆に、相手に向かって行
く。食ってかかったり、言い返し、相手を攻撃する行動に出る。

まさに自分の触れたくない、認めたくない、固い、頑なな部分があるという事だ。
弱さは見たくない。認めたくない。しかし、そこにしっかり目を留める事が大切
だ。

何度も同じパタンで起きているはずだ。痛い部分で、見たくない、避けたい所だ。
しかし、そこがサタンに足場を与えてしまう。

プライド、虚栄心、体面、貪欲、妬み、何に触れるのかよく心探ろう。自らの弱
さをはっきりと認め、その事を神の御前に置いているなら、人から何か言われて
も何も感じない。解決するからだ。

自分の内の見たくないものをこそ直視しよう。御霊の光で照らし出される。ある
人は隠れたプライドや劣等感をきちんと認めた時、自由にされ喜びが来た。

自分の内にあるものを知る時、癒しが来る。人に指摘されて傷つく、そこの部分
を、はっきりと主の光のもとに出そう。

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光のもとに出して、初めて癒しが来る。認める事から始まる。ムッと来る所、痛
い所に向き合おう。触れる何かが潜んでいる。そこから解放され自由にされると
は何という喜びだろう。主に従う時、心が自由に、自由にされて行く。