2009年08月09日(日)

「さあ、行きなさい。わたしはあなたをエジプトに遣わそう」使徒7:34

モーセは40才の時に、虐げられている同胞イスラエルを救いたいとの志を持っ
た。しかし、それは見事に挫折して、命を狙われ、遠くミデヤンの地に逃亡する
はめになった。

そこで遊牧生活を送る事になり、結婚し、子供も生まれた。40年間、荒野で羊
を飼う生活にあった。長い歳月を見渡す限りの荒野で過ごし、エジプトでの王子
としての地位も栄華もすべてが過去のものとなり、一介のただの羊飼いだ。

長い年月となると、それはそれで居心地の良い場所となっていたかも知れない。
そのモーセが80才になった時、神から召し出されたのだ。40才の意気盛んな
体力気力に満ちた時でなく、年老いてからだ。

モーセは文武にたけていた。王子の立場なら、地位も名誉も、力も富も強大な影
響力も人脈も持っていた。しかし今や地位も影響力も何も無い羊飼いだ。

人間的に考えるなら、王子の立場でこそ、その影響力が・・と思うが、神はそうで
なく、このモーセこそがふさわしいとされた。神が用いられるのは、雄々しい軍
馬ではなくロバの子だ。何もかも剥ぎ取られ、砕かれたモーセだ。神は立派な器
でなく、砕かれた器をご自身のために用いられる。

この40年が必要であった。神は荒野でモーセを砕かれ整えられた。そして、神
はモーセが何と40才の時に抱いた志を叶えて下さった。神のための志を、神は
喜ばれ、ふさわしく整えて、神の時に成し遂げて下さる。

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自分こそふさわしいと思っていたモーセは、40年をかけて砕かれた。そして素
晴らしく用いられた。「あの方は盛んになり、私は衰えなければならない」目の
前の一つ一つは、主が盛んになり、私が衰えるためだ。間に合う器に整えて下さ
っている。