2009年09月08日(火)

「・・なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」使徒5:4



信仰生活、年数を経てくると、自然に聖書知識が増して行く。毎週、教会に通っているとそれなりに身について来る。祈りの言葉も、最初は緊張の中で、しどろもどろだったのが、いつしかそれらしくなって来る。

信仰生活が長くなると、内側と外側のギャップが大きくなって来る。実質は無いのに、どんどん言葉は増え、聖書知識も増え、外側、信仰者に装えてしまう。私達には、人に良く見られたい強い欲望があり、人前を繕ってしまう。

この誘惑に陥ってしまうと、暗闇の中に入る。最初はわかって取り繕っているが、その内に自分が自分に欺かれて、本当の自分がわからなくなる。演じている方が本来の自分だと思い込んでしまう。

ある人が、外での自分をひた隠し、親の前では良い子を演じていた。親は全くわからなかった。しかし、最初は意識した演技だったが、どちらの自分が自分なのか、わけがわからなくなった。これが一番恐い状態だ。

特に霊的生活はサタンの惑わしをわきまえ、主の御前に正直でいよう。アナニヤとサッピラの間違いは、「振り」をした事だった。虚栄から出ていた。
自分が崇められる事を求めた。誕生したばかりの教会に、この偽りを放置するなら、内部から崩壊してしまうので、神は対処された。

自分自身もこの偽りだけは、心していよう。信仰が破船してしまう。献げ物が一部なら一部で全く構わない。一部をお献げしますと、主の御前に正直でいよう。
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信仰生活は、いつも神様と自分だ。人前を繕っていく必要も、焦る必要もない。なぜ焦るのか、なぜ振りをするのか、その動機をまず手放していこう。光の中に出して主に告げてみよう。