2009年10月09日(金)

「私のことばは、その時が来れば実現します」ルカ1:20



祈っても祈っても答えられない経験があるだろうか。真剣に熱心に祈っているのに、答えが来ない。それは、祈りの答えには、「神の時」があるということだ。
「天の下では、何事にも定まった時期がり、すべての営みには時がある」「神のなさることは、時にかなって美しい」。

神が目的をもって、時を遅らせておられる。御心に適っていないのでなく、御心であるが、神が最善の時機を定めておられる。私たちが思う「時」と、神の「時」とは、時々ずれがある。神のタイミングは、神の栄光が最高に現される時なのだ。

私たちは、しばしば「今こそ」その時、と思うが、神のみ思いは更に高く、深い。
ラザロが死に直面していた時、マルタとマリヤはどんなに主を待った事だろう。主なら病気を癒す事ができる。一刻も早くと、今か、今かと。しかし、主は断じて動かれなかった。尚2日もとどまられた。ラザロの死を確認して動かれた。

主の御心は病気を治す事ではなく、よみがえらせる事であった。墓に葬られた上、もう腐敗しているという、ダメ押しのもとで、主は奇跡をされ、ラザロをよみがえらされた。最も栄光が現される「時」であった。あなたも、御心を確信して祈っているなら、「時」がある。すでに聞かれていると信じ、神の時を待ち望もう。
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他の手段によらず、これが祈りの答えだったと知れる、美しい神様の時がある。今、目に見えて祈りは叶えられていなくても、時をゆだねて祈り求めていこう。