2009年12月09日(水)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」ピリピ2:13



神は志を与え、神がその事を成し遂げて下さる。私達には様々な思いが浮かぶ。しかし、気をつけなければならないのは、すべてが神からのものでなく、サタンからの思い、自分の肉の思いもある。

神からの志を識別する必要がある。思いの中に確かに神からの志があるからだ。どう判別すれば良いのか。判別の基準はある。まずその志が、神の言葉にそっているか。神の言葉に反して導かれる事は決して無い。

神のご性質や聖書全体のメッセージに合致しているか。それに反するなら、まず神からの志ではない。例えば、ここでは都合が良いから少しぐらいの不正は、などは神からではない。目的のためには手段を選ばないものは神ではない。

動機も方法も正しい事をされる。偽りが入るなら神からではない。心に平安があるか。不安があるなら、続けて祈った方が良い。御心の志なら神がその不安を解決される。

何かをする事、人に謝罪する事、又、赦す事、様々な志を与えて御心に導かれる。もし大きな事や重要な事を判断する時には、牧師や導き手にも共に祈ってもらった方が良い。なぜなら、御心なら必ず一致がある。

神からの志は、決して消える事なく堅く立つ。今、志があるなら祈ろう。主と一つである時、「せずにおれない」主のお心が、自分の自発的な思いとなって、湧き上がる。
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肉の思いとサタンからの誘惑が合致するとどんな事でも正当化できる。動機を吟味し確信を祈ろう。私達が良い行いに歩むよう、あらかじめ主の備えて下さった志なのかどうか。結果だけをみて動き出してはいないだろうか。