2010年02月06日(土) 「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう」詩編50:23
「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう」詩編50:23
「感謝」は、神へのいけにえであり、神が喜ばれるものだ。感謝を献げる時、驚 くべきみわざを見る。感謝は、砕かれたたましいが献げる事ができる。感謝する 事は、現状を認める事であり、受け入れる事だ。 砕かれた人がそうできる。反抗心があると、感謝ができない。事態を受け入れる 事ができず、不平不満、愚痴で一杯になる。感謝は、思い通りにならない状況に も、神の主権と支配を認め、神からのものと受け止めて行く。 無駄なものは一つもなく、一つ一つに神のご計画があり、意図があることを信じ る。そして、夜の後に必ず朝が来ること、トンネルは必ず出ること、神が必ず良 くして下さることを信じて行く。 耐えられない試練は無く、脱出の道も備えられている。どんな時にも希望がある。 それゆえ感謝を献げる。見えるところが夜であり、真っ暗であっても、神は良く して下さることを信じるので、感謝する。 ある人が、親の介護で、全労力を取られているところに、子供が入院。病院にす ら行く事がままならなかった。そこに夫が過労で倒れた。四方塞がれ、身動きも 取れない状態だ。しかし、その時に感謝のいけにえを献げた。 感謝する気分だから感謝するのでなく、信仰によっていけにえを献げて行った。 その時、状況に関わらず、心に平安が溢れ、天が降りて来たかと思うほどの、心 の満たしを与えられた。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 思い通りにならない状況、ネガティブな事柄を「感謝」して行く時、心が変えら れる。平安が来て、違う見方が与えられる。視点が変わり、自分のいる領域が変 わる。サタンの足場を崩してしまう。みわざを経験する。感謝して行く時、神を 崇めて行くことになる。