2010年04月08日(木)

「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった」出エジプト17:11


アマレクは肉を表し、肉は信仰生活の中で、私たちを攻撃し、戦いを挑んで来る。自分の力では、この手強い敵は、どうしようもない。しかし、主イエスが十字架で死なれた時に、この肉も十字架につけられたと、御言葉は言う。

私たちが新しく生まれる以前は、この肉に従い、肉の言うがままに生きて来た。肉だけであった。しかし、新生した時に、新しい命が与えられ、新しい性質が入って来た。その新しい性質は、肉と正反対で、神を喜び、神に従おうとし、罪を憎む。それゆえ信仰者には、今までに無かった、新しい心の願いがある。

罪を悲しみ、神の御旨を喜び、行いたいと願う。信仰者は自動的に、肉を退け、御霊の導きに従い、御心を行って行くのではない。自動的にはならない。御霊に従うか、肉の望むままに流されて生きるか、私たちの意志、選択、決断がかかっている。だから「出て行って、アマレクと戦いなさい」と言われている。

主がすでに勝利を与えて下さっているから、御霊に従い、拠り頼む時、勝利を得る。肉を放任しているなら、新生してもずっと肉の性質によって歩む。肉が出て来たなら、「自分には出来ません。助けて下さい」と主に助けを求めるなら、主が助けて下さる。自らの無力を認めて祈り頼む時、主が勝利を下さる。
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御霊か肉か、私達の前にはこの、二つの道しかない。御霊に従って行きたいと思っていても、強い肉の思いが来たらすぐについて行ってしまう。自分の力ではどうにも出来ない。だから何度も立ち止まり、祈り、そのつど自分を献げていかなければならない。