2010年07月09日(金)

「神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか」ルカ17:18

10人のらい病人が、主のもとに来た。当時、らい病は汚れた病気との事で隔離さ
れていた。人々に近寄る事は許されず、「私は汚れた者です」と自分で言わなく
てはならなかった。

病の上に、社会生活も閉ざされ、病気の苦しみの上に、更に精神的な辛さ苦痛も
加わった。主のもとへ来たのは、生死に関わるほどの、必死な思いであったろう。

声を張り上げて、大声で「どうぞ、あわれんで下さい」と叫んだ。主はあわれん
で、彼ら全員を癒された。すると10人の内、1人だけ感謝のために主のもとへ戻
り、あとの9人は去ったまま、帰って来なかった。

病気が完全に治り、社会に復帰できて、自由に社会生活が送れる。生けるしかば
ねのようであった彼らからすれば、何と夢のような事だろう。9人は、ラッ
キー!万々歳!良かった!と、世の中へ帰ってしまった。彼らにとっては、飛び
切りの幸運であった。

感謝が無いとは、神を自分の利益のために利用する事だ。9人は自分でもあり、
神を利用してしまうような者だ。感謝するために戻った1人は、神への感謝と賛
美と喜びで一杯だった。そこに神を認め、神を崇めた。

彼だけに、全く新しい信仰の人生が始まった。「あなたの信仰が、あなたを直し
たのです」彼は癒しを宣言され、神の愛に出会い、神の愛の中を生きて行く祝福
の人生が始まった。何が肝心なのだろう。病気が治る事だろうか。

「世の終わりまでいつもあなたと共にいる」人生へと招いて下さっている。苦し
み時も喜びの時も、この方と共に歩める事が、私たちの何にも代えられない幸せ
だ。
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今日も主と歩めるとは、何と幸せだろう。感謝する事は、主と私たちとの絆を深
めて行く。今日も一つ一つの恵みに、心を込めて感謝を献げよう。主は感謝する
事を喜んで下さる。何も出来なくても、精一杯の感謝を献げる事ができる。