2010年08月08日(日)

「イエスは、『来なさい』と言われた」マタイ14:29



弟子達が、湖で強風で悪戦苦闘の中、主が湖の上を歩いて来られた。弟子達は非
常な驚きであったが、その時、ペテロが、主のもとに行きたいと願った。ペテロ
は御言葉さえあれば、可能だと信じた。その信仰はあった。

主はその願いに答えられ「来なさい」と御声が臨んだ。その御声を聞いて、ペテ
ロは舟から出て湖面に足を下ろし、水上を歩いた。ところが、風を見た時に、突
然恐怖に襲われ、沈み始め、溺れかけた。恐怖の余り、主に助けを叫ぶと、主は
すぐにペテロを助けられた。

ペテロは風を見た途端、「常識」の世界を見た。今、自分は何をしているのか、
こんな事が有り得るはずがない、人が水の上を歩くなどと。私達もしばしば経験
する。

神の御心を歩むなら、神がすべての必要を満たすと約束されている。しかし、降
って湧いて来るわけでなし、どうやって満たされるのか。
この世と全く違う価値観ゆえ、人から仲間はずれにされたり、笑われたり、相手
にされなかったりする。この新しい生き方で本当にいいのか。神に従って行って
大丈夫なのか。この世でやって行けるのか。

又、忍耐し、赦すなど、相手を図に乗らせるだけだ、ピシャと言え!報復せ
よ!・・「常識」の湖にぶくぶくと沈んでしまう。今、あなたは、二つの世界に

もとぐらついているか。恐れで溺れかけたペテロだろうか。

今一度、状況でなく、「来なさい!」と御声をかけて下さっている主を見上げ、
見つめて、襲い来る肉の思いでなく、「信仰」で進もう。

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信仰とは神の御言葉を聞いて、行なうことだ。「来なさい」の言葉があったから、
水の上を歩けた。「来なさい」の言葉が無かったなら、最初から沈んでいた。語
られた言葉によって、どんな状況の中でも、水の上をも進んで行ける。