2010年10月09日(土)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦は、その日その日に、十分あります」マタイ6:34

極度の心配性で、常に思い煩いに悩まされている人は多い。ああなったら、こう
なったら、ああでもない、こうでもないと、先に起こるかも知れない事を想像し
て、不安になり落ち込む。不安材料をかき集め、まるで現実であるかのごとくに、
最悪のシナリオが出来上がる。

しかし、想像であり妄想だ。現実に実際に起きていないのだから、神も、そんな
架空のものをどうにも出来ない。思い煩いを選んでいる自分の問題だと気づける
ように。明日の事は、先の事は、私達にはいっさいわからない。誰にも何一つわ
からず、見えない。

しかし、神を信じる私達は、明日に恐れと不安を見るのでなく、明日に、将来に
神の愛を見る。明日は、神の愛に包まれ、神のご計画の中にあり、神の御手の中
に堅く守られている。その事を心から信じる。見えない明日に、不安や恐怖では
なく、神の愛を見て、神の慈しみを信じる。これが信仰だ。

神の愛を信じて歩む時に、思い煩いの亡霊に惑わされない。そして、「神の国と
その義を第一に」神第一を心に据える事だ。自分を第一、神を第二、第三にする
事から、秩序が狂い、混乱し、思い煩いが生じる。
自分中心にするなら、不安と恐怖で、あらゆる事が思い煩いの種となる。自分で
自分を守らねばならないからだ。

神を第一にするなら、神が全責任を取って下さる。そこから平安と安堵と喜びが
来る。優先順位はどうなっているだろう。思い煩いではなく、明日に、神の愛を
信じよう。

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弟子たちは嵐の中、湖を歩いて来る主を「幽霊」だと思った。しかし、主だった。
明日は全く見えない。恐れと思い煩いの「幽霊」ではなく、「主」が向こうから
来て下さっている。向こうから来るものは、明日は、神の愛に包まれている。