2010年12月09日(木)

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6


信仰生活で、時に認めがたい事態にぶつかる。嫌な相手と遭遇する。近隣、職場、学校、親族であったり、様々だ。どうにかして避けようとする。会いたくないので、環境を変えるだろうか。どうしても嫌なら、職場を変えたり、引っ越したりする。しかし、その移った先で、又、同じような相手に出会うのだ。

更に環境を変える。だが、同じ事が起こる。経験者がいるかも知れない。何度も同じ事を繰り返し、長年かかり、やっと相手でなく、環境でなく、自分の問題だと気づく。気づけば良いほうだ。気づかないままだと、相手が悪いとしか見えない。しかし、自分の問題だと気づけた時、光があり、神に焦点が合ったという事
になる。

状況は同じなのに、深い安堵感に包まれる。「羊のようにさまよっていたが、自分のたましいの牧者のもとに帰った」感覚だ。平安で心が満ちる。状況しか見えていなかった目が、神を見ている。本当の問題は自分の高慢だ。

人を赦そうとしない頑なな心であり、自分の内にも、実は妬みや虚栄やプライドがある。相手が悪いに、すり替わるので全く見えない。そこに主を認める時、本当の問題が見える。解決が来る。ある人がバイト先を転々としていたが、目が開かれた時に止んだ。一つ所で、様々な主の訓練を、学びを受け、自分が変えられ、喜びと成長が与えられている。
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他人と、自分と現状しか見ていなければ問題に溺れてしまう。問題を通して主が何を教えて下さっているのか、共にいてくださる主に問うていこう。自分変えられ主が今の道を整えて下さる。