2011年04月08日(金)

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである」伝道7:14          



  
                     
順境があり、逆境がある。神のなさること、とある。この世の宗教は順境だけを求める。家内安全、商売繁盛、無病息災・・、むしろ逆境が無いための信心だ。主は、願いを求めよと言われる。主に求めるのは良いことだ。しかし、自分の利益だけを願い続けていたらどうだろう。あれが欲しい、これが欲しい、ただそれだけなら、幼な子のままでストップだ。

子供から大人へと成長して行く時に「神の御心」を求めるようになる。あれをくれ、こうしてくれ、だけでなく、主は、主と共に労する人々を求めておられる。成長して行く時に、自分の願いでなく、主のお心ということに心が向き、御心のようにと明け渡して行くようになる。順境も逆境も、神のなさることであれば、無意味なものは無い。逆境も意味があり、目的がある。

そして、「後の事をわからせないため」とあり、主は、先の事を伏せておられる。これから病気になる、又は、想定外の収入がある・・等、将来の事は告げられない。占い師ではない。私たちに、先の事はいっさいわからない。それは主に信頼させるためだ。先が見えたなら、信仰は必要ない。見えない中で信頼するのが信仰だ。

逆境時には、早く何とかしたい、解決したい、苦しみを早く逃れたい、そんな思いで一杯になる。その背後にある主の思いに、神のなさる事に、なかなか思いが行かない。今、逆境にあれば、神がなさった事であり、神のみ思いに思いを向けよう。
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逆境の中でしか知り得ない事が人それぞれにある。自分の本当の弱さを知るためであったり、そこでしか出会えない神を、また十字架の意味を知るためであったり。順境の日も逆境の日も神様からの賜物。生涯かけて神を知る道だ。