2011年05月08日(日)

「ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので」創世記32:25

ヤコブは父と兄を欺き、兄の祝福を横取りし、兄は激怒。家におれなくなり、叔
父ラバンのもとへ逃亡するはめになる。ラバンのもとで神からの厳しい苦しい訓
練を受ける。結婚の事で欺かれ、辛い重労働に従事し、やがて二十年を経て、神
の時が来た。主から帰郷を告げられた。

兄エサウとの再会は、どんなに恐怖であり、不安であり思い煩いであったろう。
兄が、四百人を引き連れて来ると聞き、皆殺しにされるのでは、恐怖が身体を貫
く。贈り物でなだめようと画策し、知恵を巡らせ、あらゆる手を打つ。しもべ達
や家族を先に進ませ、自分は一番後にとセッティグした。

出来る事は何もかもし尽くしたが、しかし、恐怖と不安がどうにもならなかった。
ヤコブを通して見る事ができる。人間の恐怖や、不安は、人の知恵と力によって
は、どうにもならないものだという事を。

何としてでも、策を練り上げて、必死に自分で自分を守ろうとしたヤコブに、神
が臨まれた。一人残ったヤコブに神の方から格闘された。神が勝てないほどの、
余りにも強いヤコブに、そのもものつがいを打たれた。ラバンの家での苦しみに
も、尚も砕かれない、頑なな自我を砕かれた。

エサウが襲って来ても、足で逃げる事が不可能になった。とうとう神に全面的に
拠りすがるほか、すべが無かった。まさに、これこそがヤコブの祝福であり勝利
であった。恐れと不安が消えたヤコブは、自らが先頭に立って、エサウと再会し
た。最後尾で怯えて震えていたヤコブが、全く変えられてしまった。

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砕かれたヤコブは、自由になり、平安になり、恐れが消えた。自分もヤコブであ
り、自由にするために、主が立ちはだかって下さる。目の前に様々な事態が送ら
れて来る。砕きのためと焦点を当てると、主が見えて、平安が臨む。