2011年07月09日(土)

「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』」ヨハネ5: 8


38年間、病気で伏せっていた男性に、「イエスは彼が伏せっているのを見」主
のほうから、目を留められた。そして「よくなりたいか」と語りかけられた。彼
は、即、「よくなりたいです」と答えたのではなく、介助者がいないゆえにこの
ままだと、人のせいにした。

確かに、実際、誰も助けてくれる人がいなかった。孤独な人生だったかも知れな
い。何もかもご存じで、主は御声をかけられた。今までの状況も、心の状態もご
存じの上で「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と命じられた。38年間、人
のせいにし、他を責めつつ、自己憐憫、諦め・・そこはそこで、楽で、居心地良く
なって来る。

そのような床を捨てて、起き上がって、歩み出せと言われた。「よくなりたい
か」の主の言葉は、現状を照らし出した。御言葉により、一歩を踏み出さない限
り、癒しはない。彼は、御声を聞き、「よくなりたい」と受け入れ、信じたゆえ
に、起きようと意志した。

すると、主から力が臨み、起き上がることができた。すぐに直って、床を取り上
げて歩き出した。私たちにも、「イエスは彼が伏せっているのを見」主のその慈
しみと愛のまなざしが注がれている。
私たちの弱さ、傷、病、罪をご存じで、「よくなりたいか」と御声をかけて下さ
っている。自分にとって、ずっと依存していて、取り上げるべき「床」は何だろ
う。一歩を踏み出そう。

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何度やってもだめで、失敗を繰り返し、もはや諦めてしまっている、そんな状況
に、主は「よくなりたいか」と御声をかけて下さる。そして「よくなりたい」と
いう心の奧の思いを、目覚めさせて下さる。主を信じる時、みわざを見る。