2011年12月07日(水)

「父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」ルカ15:20


弟息子は、父親のもとにいるのが窮屈で、自分の思い通りに、好きなように生きたかった。父親に相続財産を要求し、「遠い国に旅立ち」「放蕩して湯水のように財産を使い」「遊女におぼれて身代を食いつぶした」。誰にも邪魔されず、気ままに生きた結果、どうなったか。父親からもらった財産をすべて使い果たした。食べるにも困り、豚の番人をするが、誰一人彼を顧みてくれる者もいなかった。

富がある間は、群がっていた人々も、皆、去ってしまった。誰からの愛も無かった。心身ボロボロになり、すべてを失い、どうしようも無くなった時に、我に返った。飢えと孤独、人生のどん底まで落ちて、惨めな豚小屋で、父のもとに帰る決心をした。人間は、どん底にまで落ちなければ、神を求めないようだ。悔い改めて神に立ち返った時、「死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と言われ、父なる神は、大喜びされた。

走り寄って、抱き、口づけされた。失った財産の事もいっさい無く、又、放蕩を責めることも全く無かった。一番良い着物、指輪、靴を用意し、豪華なご馳走を作って、息子の帰宅を喜んだ。神に立ち返ることを、神はこんなにも、ただただ喜んで下さる。この世に目が奪われ、神から離れたとしても、いつでも神に立ち返ろう。こんなにも喜んで下さるのだから。
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御父のもとは窮屈で不自由だろうか。良い人間でなければいられない所だろうか。私が正しいから御父は私を愛して下さるのではない。いつでも赦そうとして待っていて下さるお方の愛は一方的に注がれている。