2012年01月09日(月)

「私はキリストとともに十字架につけられました」ガラテヤ2:20


私たちは新生し、新しい性質を持つが、同時に古い肉の性質もある。この古い性質はこの世に生きている間、ずっと存在する。裁く思い、妬み、敵対心、怒り、思い煩い、争い、怠惰・・罪の性質だ。しかし、同時に、神に従おうとする新しい性質もある。私たちは「貪るな」と言われると、貪ってしまう。禁止されると、返って欲望が湧き上がる。「〜してはならない」「〜するな」と抑えつけると、返って肉が暴れ、ますますがんじがらめになり、罪を犯してしまう。

ある人が、玄関先の植木鉢が盗まれて困るので、「鉢を盗るな!」と貼り紙をすると、それが更に盗まれる事になったと。とうとう紙をはずした。何も考えていなかったのに、盗るなと言われれば、欲望が目を覚ます。罪の性質だ。これは抑えると更に暴れるので、誰もどうにも出来ない。そのために、主が十字架で命を捨てて下さった。

十字架は、罪の赦しのためであると同時に、この罪の性質を持つ古い人を、キリストと共に十字架につけるためであった。ここに救いがあり、「古い人がキリストとともに十字架につけられた」「自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです」。この事実を信じ、御言葉に立って歩む時、自分が変えられて行くことを発見する。愛、喜び、平安・・の御霊の実を結んで行く。
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私は罪に無力でも、すでに主が古い私を十字架につけて下さっている。ネガティブな声に負けそうなとき、「古い私は十字架につけられている」そのために主の十字架があると、私ではなく主に信頼し勝利して行きたい。