2012年02月07日(火)

「隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を」U列王4:3


エリシャは預言者の集団を従えていたが、その内の一人が亡くなった。借金を残しており、貸し主が二人の子供を奴隷にしようとしていると、妻が訴えて来た。エリシャは「何をしてあげようか」と、家に何があるかと尋ねた。家の中には何も無く、油の壺一つしか無いとの答え。エリシャは、近所から空の器を借りて来るようにと言い、油をついで行くように言った。

彼女は、近所から多数の壺を集め、次々に油をついで行った。その一つだけの油の壺から、油は幾らついでも、無くならず、器の数の分だけ出て来た。そして、壺が無くなった時に油は止まった。それを売って、負債分を支払うようにと。神は、彼女の子供たちを守られた。空の器が満たされた。

神は虚しい、空の心を満たして下さるお方だ。私達は、空の心を様々なもので満たそうとする。仕事、趣味、名誉、地位、人からの賞賛・・しかし決して満たされない。神のもとへ、虚しい心を持って来る時に、聖霊で満たして下さる。神以外のもので満たそうとしても、心は虚しいままだ。

私たちも、他のもので満たそうとしていないだろうか。又、器に、余分なものが入っていないか。プライド、虚栄心、貪欲・・それなら、主は満たすことができない。それらを認めて、明け渡そう。「空の器をもってきなさい」。その時、聖霊で満たして下さる。
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神様が全てを満たして下さると知っていても神様も必要だが、あれがなければ、これもなければと依存しているものがあるだろう。今、何かを失って心虚しいと思っているなら喜ぼう。その空の自分を喜んで神様に献げ満たしていただこう。