2012年05月09日(水)

「恐れないで、ただ信じていなさい」マルコ5:36


会堂管理者ヤイロが、瀕死の状態の娘のために、主に助けを求めた。それで主が一緒に行かれる途中に、長血の女性が割って入った。危篤であり、一刻を争うところに、邪魔が入り、ヤイロの心は、気が気ではなかったろう。彼女が主により癒された時、使いが来て娘の死を告げた。それゆえ、もう主に来て頂く必要はないと。

ヤイロの心は、どんなものであったろう。絶望が襲おうとする瞬間に、主は御声をかけられた。「恐れないで、ただ信じていなさい」と。別訳では「主はその話している言葉を聞き流して」、「主はその言葉に注意を払わず、心に留めず」となっている。不信仰な言葉は、聞き流す必要がある。心に入れてはならない。信仰の言葉である、御言葉を心に入れて、不信仰な言葉は聞かずに、シャットアウトすることだ。

不信仰の言葉を入れると、不安、恐れ、疑心暗鬼に支配され、不信仰に侵食されて行ってしまう。又、不信仰を招く事柄に「もうだめだ、遅かった」という状況がある。しかし、「神の時」がすべてだ。家に着くと、人々は大泣きし、取り乱していた。娘は知らせ通り、すでに死んでいた。目の前の動かすことのできない現実であった。

しかし主は、「死んだのではない、眠っている」と言われた。人々は嘲笑った。主の言葉が理性に合わないからだ。しかし、主の言葉通りに、娘は生き返った。どの言葉を受け入れ、どの言葉を聞き流すか、私たちの心が守られるために、大切だ。
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否定的な声が内からも外からも聞こえて来ると、目の前は真っ暗に見えてくる。信仰がなければ聞いて行く声のように、目の前の見えるものように成って行ってしまう。恐れないでただ信じていよう。