2012年06月08日(金)

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」マルコ11:24 

                
信じて祈る時、素晴らしい約束を与えて下さっている。しかし、次に続く言葉がある。「だれかに対して恨み事があったら赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」赦す事を強調されている。赦さない心は、祈りを妨げるので、祈りが聞かれなくなる。神があなたを赦して下さったのだから、恨み事のある相手を赦しなさいと。

私たちは、しょっ中、失敗する。しかし主は豊かに赦して下さっている。罪を犯さないのではなく、罪は犯してしまうが、赦されて赦されて生きている。それゆえ、私たちも赦すようにと。まず恨み事や憎しみ、赦せない心があると、祈れなくなる。神と私たちの間に、へだたりができてしまう。すると、確信もった祈りができない。

あなたも経験あるだろうか。ある人が、切実な必要があり、神の御前に出て祈っていた。しかし、祈り続けるが与えられない。すると祈りの中で、ある人に対し、恨みと敵意、苦々しい思いを根に持ち続けている事を示された。これが祈りを妨げている事がわかり、悔い改めて赦した。その後、見事に祈りが答えられた。

赦さない心は、祈りを遮断してしまう。祈りの答えを受け取るために、密かな恨み、赦さない心がないかどうか、御霊に探って頂こう。妨げが除かれる時、信じる事ができて、答えを得る。
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主が赦しなさいと言われているのに、赦さないまま自分の祈りだけしっかり祈っているのはどうだろう。赦せない思いを光の中に出して、真実に主との交わりに入ろう。主が赦せるようにして下さる。