2012年08月06日(月)

「ヘロデがヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである・・非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた」マルコ6:20



ヘロデは、ヨハネを正しい人と恐れ、保護していたのに、殺してしまった。なぜなのか。「王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、人々の手前もあって」とあり、ヘロデは、自分はヨハネを正しいと知りながら、人目を気にして、人の手前、ヨハネを殺してしまった。

ヨハネの 語る神の言葉を聞いていながら、自分の立場を守り、周囲に体面を保つために、ヨハネを抹殺してしまう。ヘロデは、ただ神の言葉に喜んで耳を傾けるだけで、応答し、悔い改める事がなかった。又、神の言葉に自らを従わせ、方向変換するという事をしなかった。ヘロデには権力があり、娘の願いを退けることができた。にも関わらず、娘の言う事に従ってしまった。

ヘロデは、人々の前に、自分を守り、神を恐れず、人を恐れた。めんつを取り繕うことが最優先であった。私たちはどうだろう。他人の目に、自分が思う以上に拘束されているものだ。人への恐れのゆえに、事を誤って行く。それは神の言葉に喜んで耳を傾けていながらも、御言葉に従うことをさせない。

人への恐れは、内側に根深く培われている。まず気づきから始まる。ヘロデはヨハネの言葉を喜んで聞いていた。しかし悔い改める事は全く無かった。御言葉を喜んで聞いてはいても、御霊の示しに従わないなら、実を結ぶことがない。実を結ぶために、目の前の一歩に従う事が必要だ。
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人との摩擦を恐れ、いい加減に対応していると、望んでもいない結果、御霊の導きや御言葉とは違う所に連れて行かれてしまう。意識して御霊の促しを聞き、忠実に従って行こう。