2012年09月05日(水)

「イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである」出エジプト40:38


イスラエルの民は荒野にある間、雲の柱、火の柱をいつも見ていた。進む事にも、とどまる事にも、常に指示があり、雲と火により明確な導きがあった。いつも主を見、その導きを見ていた。「雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった」とあり、主が止まられる所で、しっかりとどまった。

私たちはどうだろう。止まる事が苦痛で、どんどん自分で旅を続けたいと思ってしまう。前進したいと思う。しかし、主がストップさせられている時は、主と共にとどまろう。そんな時こそが大切で、その所で主は様々な事を教えて下さる。無駄にとどめておられるのではない。御心があり、その中で学べる事がある。今、ストップがかかっていたら、じっと待とう。待つべき時には、自分で動かない事が大切だ。動き出したい誘惑と衝動が来るが、じっととどまろう。必ず主の時に、御心の時に、事は動いて行く。

ある人がなかなか道が開かれず、待ちくたびれて、自分が進みたい道に、合致する御言葉を勝手に取って来て、御心だと思い込もうとした。しかし、そんな事は、心の深い所に平安無く確信も無かった。そんな自分を明け渡し、右でも左でも御心のままにと、自分の好みでなく、ただ御心を示されるよう祈った。そしてどんなに時がかかろうと、御言葉が与えられるまで、静まって待とうと決心した。その時に初めて、心の平安を経験した。
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前進したいとの強い思いをとどめて、じっと待つのは苦しい。しかし、私達の時は御手の中だ。確信のみ言葉を与えられるまで待とう。永遠かとも思える待つ時間も、すでに神の恵みの時だ。