2012年10月09日(火)

「窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです」詩編102:17

ある人が就職先を求めていた。厳しい中だが、どうしても生計のために必要だ。面接に行くと、次々と断られた。段々と焦りが出て来る。仕事が無ければ、生活が成り立たない。もう何でも良いと、仕事が与えられるように祈った。そんな中も面接の度に断られ、現状は厳しく瀬戸際まで追い込まれた。主に拠りすがり祈りに祈った。心底祈らされた。

そんな時、一つの面接先が開かれた。すると、履歴書を見、面接をしたその会社の社長が「自分もあなたと同じ境遇で育った。ここで頑張りなさい」と採用になった。まさに主からのものだった。「彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした」。

全能の主には、不可能は事は一つもない。この詩篇の作者には、食事も忘れるほどの悲しみ、苦しみがあり、骨と皮がくっつくほど、やせ衰えた。彼の人生は夕方の影が伸びて行き、闇になって行くようであり、青菜のようにしおれてゆくと。だが、「しかし、主よ」と続く。

悲惨な状況に関わらず、状況でなく、主に目を向ける。主は「とこしえに御座に着き、立ち上がり、あわれんで下さる」方と。しばしば、痛い、苦しい経験を通ることにより、主に目を向けさせられる。そして窮地の切なる祈りに答えて下さる。悩みの時には、祈ろう。決してその祈りをないがしろにされない。
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その栄光の豊かさに従い、御霊により私達を強くして下さる主に、辛い思いのすべてを告げよう。主の側より動かず、じっと聞いて下さる主に祈り続けよう。